近衛師団戦死者の墓、軍人軍屬火葬場の碑

2023-10-24

近衛師団戦死者の墓、軍人軍屬火葬場の碑

明石元二郎総督顕彰祭の後、私は直接には戻らず、基隆に行き、別の慰霊に私的な神事を執り行った。先日来ていたのだが、今回は準備するものがあったので基隆に寄り道した。

近衛師団は大日本帝国陸軍の師団の一つ。

最精鋭かつ最古参の部隊として天皇と宮皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にもあたった。

1895年5月27日(明治28年)、7,000人の近衛師団は沖縄で台湾総督の樺山資紀と合流し、6月3日午後には基隆の高台である獅球嶺要塞を攻略し、6月11日には台北市内に入った。 台南を占領した後、台湾を離れ、その後日本本土から出ることはなかった。

基隆で戦死した日本兵の総数は2,156人にのぼった。 日本軍は死者を火葬するために基隆の西の丘に火葬場を設置し、遺灰は火葬場の隣にまとめて埋葬され、1898年(明治31年)には「近衛師団戦死者の墓」が設けられた。


於明石元二郎彰顯祭結束後,我並未直接回程,而是前往基隆,進行另一個人私人弔唁。雖然先前已經前來勘查過,但一直沒有機會進行,正好此次東西有準備,便再繞到基隆。

近衛師團為大日本帝國陸軍中的一隻。

是最精銳且最古老,作為天皇與皇宮的禁衛軍,且儀仗隊背負著鳳凰神輿供奉的責任。

1895年(明治28年)5月27日,近衛師團7000餘人在沖繩與台灣總督樺山資紀會合,6月3日下午攻占基隆制高點獅球嶺炮台,6月11日入台北城。攻下台南後,離開台灣,從此不曾離開日本本土。

基隆一戰日軍死亡總人數高達2,156人。日軍於基隆西方山丘設立火葬場火化死者,骨灰集體埋葬於火葬場旁,並於1898年(明治三十一年)設立「近衛師團戰死者之墓」。