服部天神宮

2024-03-23

主祭神:少彦名命、菅原道真

延暦2年(783年)に藤原魚名は大宰府に左遷されて筑前国へ向かったものの具合が悪くなり、病臥するとそのまま当地で没し、天神祠の近くに葬られた。

延喜元年(901年)に菅原道真が大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。里人の勧めるままに路傍の天神祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念し、菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けるようになった。

昨年、大阪を通過する際に行く予定だったが、スケジュールの都合で遅れてしまった。今回ようやく念願かなってお伺うし、加藤彌宜と会うことができた。

その前に、この出来事を友人に話し、写真を見たところ、ほとんどの人が「本当にハンサムだ」と同じような反応を示した。 実際、加藤神主はイギリスに留学しており、日本の伝統と文化が色濃く残る神道界ではかなり珍しい。このことは、加藤氏が外見と中身を兼ね備えた神主であることを示している。

延暦2年(783年),藤原魚名在前往太宰府的途中病逝,葬在天神祠。延喜元年(901年)菅原道真從京都前往九州太宰府赴任的途中,因腿疾無法行走,村民建議他到此神社祈求治癒。菅原過世後,人們供奉了他的靈位,並在神社境內建了服部天神宮,以足之神受人名崇敬。

早在去年經過大阪時就已計畫前往,但因路途耽擱作罷,本次終於如願以償到達,並與在加藤彌宜見面,其實與友人告知此事並看到照片時,幾乎都是同一個反應「真的好帥」,其實加藤神主可是留學英國的,在極具日本傳統文化的神道圈而言,這是相當罕見的。更能看出加藤先生同時具有外表及內涵的神主。