高木惣吉記念館

  高木惣吉は、戦時中「もはや勝ち目がないから、命を守るため、戦争をやめよう」なんてことを言えば殺されかねない時代、海軍少将として命がけで終戦工作に取り組み、日米あわせて250万人以上の人命を救いました。そんな高木惣吉の遺品を受け継ぎ、紹介しているのが、高木惣吉記念館です。

高木惣吉紀念館

高木惣吉

明治26- 昭和54年、熊本県人吉市出身。貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校へ入校し、海軍大学校を首席で卒業する。最終階級は海軍少将。

軍政方面で活躍。海軍部外に幅広い人脈を有し、ブレーントラストを組織した。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。(間接的に200万人以上の命を救う)

昭和54727日に神奈川県茅ヶ崎市自宅で死去、享年85歳。墓所は鎌倉東慶寺に所在。熊本県人吉市で、遺族により「高木惣吉記念館」が運営されている。

高木惣吉

生於明治26年,卒於昭和54年,熊本縣人吉市人。少時家貧,靠半工半讀自學考上海軍兵學校,且以第一名的成績畢業於海軍大學,官至海軍少將。高木將軍在軍政上尤其活躍,在除海軍外亦有廣大人脈,亦參與組閣。並且在替日本協助結束戰爭中功勞極大(間接拯救兩百多萬人的生命)。高木少將於昭和54年7月27日神奈川縣自宅過世,享壽八十五。墓地於鎌倉東慶寺,遺族於熊本縣人吉市成立高木惣吉記念館。

                           桃李温泉 季の杜 石庭內