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杉田さんと美穂さんと山本さんの協力で矢作神社を訪れた。
静かな神社だが、長い歴史があり、浄化のオーラを放っている。 川喜田宮司とは2年前から交流があったが、残念ながら今回初めて愛知県に足を踏み入れた。 宮司はとても熱心で、朱印帳を一人一冊ずつくれた。 次に愛知を訪れるときは、もっと台湾のお土産を持ってきたいと思います。
315年頃、日本武尊が東夷征伐に地元の民から賊の退治を依頼された。日本武尊は矢を作る職人である矢作部たちに矢を作るよう命じた。日本武尊は素戔嗚尊を祀り、賊を討ち果たしたと伝えられる。この矢竹の一部が矢作神社にある矢竹やぶであり、矢作神社と呼ばれることになったという。
大正時期、日本海軍の防護巡洋艦「矢矧」の艦長以下乗員一同が正式参拝し、大正10年10月には「矢矧」の100分の1の模型を奉納して、現存している。また、「矢矧」の艦内には矢作神社の分霊が祀られていた。
本次承蒙杉田先生、みほ小姐引薦,並由山本先生協助,我們拜訪了矢作神社,
神社雖然清幽,但頗具歷史,散發出淨化人心的氣息。早在兩年前,小弟便與川喜田宮司有聯繫,但很可惜直到這次,我才首度踏入愛知縣,宮司十分熱情,還特地給我們一人一本朱印帳冊。盼望下次再前往愛知縣時,多帶一點台灣土產奉上。
約西元315年,日本武尊(倭武天皇)東征時,受到當地居民的委託,擊退當地盜賊。武尊令工匠造箭,並在出征前祭祀了素戔嗚尊(須佐之男),隨後打敗了盜賊,相傳這些箭竹,便是現在神社境s內的竹子。
大正時期,大日本帝國海軍防護巡洋艦「矢矧」,其艦長及船員一同前往參拜,並於大正十年十月,獻上了「矢矧艦」百分之一的模型,目前仍保存著。也因此,矢矧艦上亦祭祀著矢作神社的分靈。