溫根湯神社
温根湯温泉街の山中に位置しており、明治43年遥拝所を設け、大正8年大山祇大神を合祠し森林・鉱業地帯の神祠として愈々尊崇加わり、昭和15年1月1日字名の改称により温根湯神社と奉称し、平成8年以降、温根湯神社の宮司は留辺蘂神社の宮司が兼務しています。
朝、田頭宮司が車で旅館まで迎えに来てくれ、彼の兼務社の温根湯神社を訪ねた。 山間の温泉地や鉱山地帯の守護神として、かつては栄華を極めた時代もあったのだろうが、産業の衰退や人口の移動に伴い、建物の一部が破損し、資金や人手の関係で当分の間保留にするしかないのは寂しい限りであり、台湾の神社跡の多くも同様の問題を抱えている。
余談だが、昨年、桃園神社では、日本文化の知識人を装った親中派の陰謀家たちが、天照大御神と大国主神と一緒に祀ることはあり得ないと主張し、素振りまで見せて暴動を起こしたことがあった。それほどまでに、日本政府がかなり怒っていると言いました、彼らは神社の解体さえ要求した。 しかし、2つの神が一緒に祀られていることは、日本では決して例外的なケースではなく、意図的に風評を作り出して政治戦を仕掛ける輩がいても不思議ではないので、「永遠に寝たふりをしている人を起こすことはできない」としか言いようがない。
位於溫根湯溫泉街中的山中,明治43年設立遙拜所,大正8年大山神祇的合祀,讓神社作為森林及礦業的神社更加被崇敬,昭和15年改名為溫根湯神社被朝拜,平成8年後,宮司由留辺蘂神社的宮司兼任。
上午,田頭宮司開車至旅館迎接我,前往他的兼務社溫根湯神社參觀。作為鎮守溫泉區及礦區的山間,過去一定有一段輝煌的歲月,但隨著產業的沒落以及人口的外移,不免令人惋惜感嘆,部分建築的損壞,礙於經費及人力,也只能暫時擱置,在台灣的許多神社遺跡,也有類似的問題。
另外一個題外話,去年桃園神社遭受親中分子的鬧場,其中一部分冒充知日分子以天照大神與大國主神不能合祀,假冒日本人對此相當生氣,甚至以日本政府不承認,要求拆除,但事實上,兩神合祀在日本並非特例,無奈有心人士刻意造謠進行統戰,只能說裝睡的人叫不醒。