最初の神道

2024-09-08

    これは留辺蘂神社シリーズの最終回となる。 ここも私が15年前から縁結び場所であり、もう一度人生の願いを叶える機会に感想を書きます。

今から15年ほど前、高校の教師をしていた私は、仕事で時間の制約が多く、日本文化への学のは剣道くらいしかなかった。今でも台湾では神道は珍しいが、国民党の馬英九政権下の雰囲気を見るまでもない。

当時はインターネットがはじめ普及し、ブログの黄金時代だった。 図書館からインターネットに多くの情報が移行し、ブログの内容は本よりもずっと親切で、面識はなくても遠い場所に存在する実在の人物だった。あの時に田頭さんのブログを見った。

人生でやりたいことはたくさんあるけれど、やっぱり人生は一度きり、たぶん手に入らないし、願いは時間とともに過ぎ去ってしまうことが多い。でも、たくさんの願いの中に、縁分やチャンスがあるかも、結局、神主になった。

その時、あの神主に直接会いに行って、面と向かってお礼を言うべきだと思った。私のことを知らないとはいえ、彼のブログは私の人生を変え、おそらく台湾にももっと変えを与えただろう。

なぜ特別にこのことに言わなければならないのか。本やネットのデータは固い知識ばかりですが、ブログは真実の体験です。 彼のブログを読んで、もし私の人生で神道と接する機会があ(観光ではなく)れば、田頭さんのブログは絶対に啓蒙と思いました。実際、後の時間で、彼のブログが私の神道の基礎を築いた。 彼は私のはじめの師であったと言える。

あの時、旅程を組む際、当時のブログの神主と留辺蘂神社の宮司が同じとは知らず、限られた時間の中で札幌、釧路、留辺蘂を巡る計画を立て続けていたのだが、厳しいと思う。偶然にも当時の神主が既に留辺蘂神社におり、今回の旅の方向性が北海道東に確認されてしまった。

というわけで、初めての北海道旅行は北見の留辺蘂神社と釧路鳥取神社の2社に捧げた。

  這是我在留辺蘂神社系列中的最後一篇。由於這對我的人生相當中重要,也是十五年前緣分,所以在我再次達成人生願望時,寫出的感想。

大約在十五年前,那時我還是高中老師的時候,由於工作的緣故,時間相當不自由,對於日本文化的喜愛,也只有劍道算是可以接觸。即便是現在,神道在台灣仍是稀有,更何況是當時由馬英九主政下的氛圍。

當時網路逐漸普及,是部落格時代的黃金時期,許多的資訊也從圖書館轉移至網路,相較於書本,部落格的內容更加親近,雖然不認識對方,但卻是遙遠一方的真實存在的人。就在那時,我看到了田頭宮司的部落格。

為什麼要特別提這件事呢,書本及網路資料,都是硬梆梆在那邊的知識,但部落格是一個活生生的人生經歷,我在看了一個真實神主的紀錄,心中有了一個想法,倘若人生有機會接觸神道(不是觀光),那這個部落格絕對是我的啟發。事實上,在後續的人生裡,他的部落格為我建立了許多神道的基礎。可以說是我的啟蒙老師。

人生中有許多想做的事情,但畢竟人生只有一次,魚與熊掌無法兼得,往往願望都會隨著時間流逝,但就是有那樣的緣分及運氣,眾多願望中就會有一個機會讓你抓住,於是乎因緣巧合之下,我走到了這一步。當時我就想,我應該親自去跟那位神主見個面,並且當面謝謝他,雖然不認識我,但他的部落格改變了一個人的人生,可能也改變了台灣的許多機會。

我在安排行程的時候,當時我還不知道留辺蘂神社與當時的部落格神主是同一位,我還在努力如何在札幌、釧路、留辺蘂這三地,在有限的時間中的規劃,機緣就是這麼巧妙,原來當時的神主,已經在留辺蘂了,於是這次的方向就鎖定在北海道的東部。

於是,人生第一次的北海道,我獻給了兩個神社,留辺蘂神社及釧路的鳥取神社。