奉焼について
1.軍旗
戦闘において連隊が壊滅間際・玉砕直前になった際は連隊長や旗手の手により軍旗奉焼された。奉焼せよは「玉砕せよ」という命令だった。
常陸丸殉難記念碑
野戦攻城にかけては鬼神をも取り拉ぐべき益良雄も、 海上では如何とも為し難く、今はこれまでと覚悟した聯 隊長は、皇城を遥拝し、軍旗奉焼した後従容として自決 し、大隊長山縣少佐以下一千有余名の勇士も、無念の涙 を飲んで玄界灘の波間に没した。
軍旗は天皇から親授された最高の軍のシンボルであり「天皇」そのものであった。軍旗がある限り、兵士たちは疑わなかった。玉砕や、終戦などで部隊が存在しなくなる事が想定された場合は、軍旗は指揮官などの手によって奉焼(不敬とならない形で焚き上げること)された。その軍旗を奉焼せよとは、すなわち「玉砕(全滅)せよ」を意味したと考えられる
2. 御真影
昭和21年3月14日の「御真影奉安殿撤去ニ関スル件」で御真影を「奉焼」すべしという通達が出され、奉安殿も一部を除いて撤去された。
3.海外神社
朝鮮神宮は昭和20年8月15日の午後に「昇神の儀」を行って祭神を抜き、その「御霊代」は航空機で宮内庁に返還された。本殿は軍政庁の許可を得て神職等による解体と「奉焼」が行われた。
図:常陸丸殉難記念碑
図:昭和天皇御真影
図:日本陸軍歩兵第43連隊の軍旗奉焼の碑
図:朝鮮神宮
關於奉燒
1.軍旗
當戰鬥到了最後一刻,隊長會命令掌旗手燒掉軍旗(也就是奉命燒毀),奉燒存在著玉碎的意義。
常陸丸殉難記念碑提到:
攻城戰是驚天地泣鬼神的神勇,但在海上卻無能為力,有了最後覺悟的隊長,向皇居遙拜後,奉燒軍旗後自裁。山縣隊長以下一千多名勇士,帶著悔恨的淚水沉沒在玄界灘地潮水下。
軍旗在軍隊是至高無上的象徵,它是由天皇親自授予,只要軍旗還在,士兵就會士氣就會持續堅定,如果軍隊即將潰敗不復存在時,指揮官就會下令將軍旗燒毀,因此奉燒軍旗象徵寧為玉碎不為瓦全的心態。
2.御真影
在昭和21年3月14日,「御真影奉安殿撤去」的要求下,天皇肖像燒毀,奉安殿撤去。
3.海外神社
如朝鮮神社於昭和20年8月15日進行昇神儀式,將神送走,御神體以飛機送回日本宮內廳,本殿則在神官等人的處理下解體後奉燒。