北見神社

2024-09-11

明治30年6月、屯田歩兵第四大隊が野付牛移駐にあたり、大隊長小泉正保様が天照大神を奉載し、同年8月24日・25日の両日鎮座祭を斎行し奉斎したるをもって、当時はこれを護国神社と称した。

大正9年、現在地に新社殿が建立され、大正10年、内務省より村社に列せられ、社号を野付牛神社と定める。昭和17年3月、内務省より郷社に列せられる。同年10月、社号を北見神社に改称する。

北見の土地の鎮守の氏神神社として今日に至っている。

神社には、日本の思想家二宮金次郎像、教育敕語碑、国歌「君が代」の碑など、日本国家に関連する像や記念碑が数多くある。実際、神道や神社は日本の歴史や文化と密接な関係がある。 しかし、台湾の親中派には神社は好きだが日本には反対し、日本を神社から排除しようとする論理は、みんなを欺くための彼らの願望としか言いようがない。

明治30年6月屯田步兵第四大隊移駐野付牛,大隊長小泉正保奉請天照大神,於8月鎮座祭祀,當時稱為護國神社。

大正9年於現址建立社殿,大正10年內務部列為村社,稱野付牛神社。昭和17年3月、内務省列為鄉社,10月改稱北見神社,並以鎮守北見土地的在地神社至今。

本神社放了許多與日本國家民族有銜接的雕像與石碑,例如日本思想家二宮\金次郎雕像、教育勅語碑、國歌君之代石碑等。

其實神道與神社與日本歷史與文化緊密相連,但台灣有一些親中分子,喜歡神社卻反對日本,想出去除日本的神道這種邏輯,只能說是自己的一廂情願的欺騙大眾。